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乳腺外科医わいせつ事件は何が問題なのか

こんにちは。

あまり医療関係者以外の間では話題になっていないみたいですが、少し前に乳癌の術後患者に対して外科医がわいせつ行為を行ったとして、外科医が訴えられている事件がありました。

https://www.m3.com/open/iryoIshin/article/628366/

簡単に要約すると、患者は「術後に回診に来た医者が自分の乳首を舐めた」とのことで担当外科医を訴えているわけです。

医療者からすると、「は?」と言いたくなるのですが、証拠もあるだのなんだので起訴までされて外科医が裁判にかけられているという事件です。

だけどこの証拠も杜撰なものであるうえに、詳細はこれから書きますが「実際にわいせつ行為をするなんてありえないだろ」的な状況で訴えられてしまうことに、医療者はみんなびっくりしているのです。

外科医のわいせつ行為は本当なのか?

まずこの話でそもそも論として、「本当に外科医がわいせつ行為をしたのか?」ということが気になるかもしれませんが、「99%あり得ないでしょ」というのがこの事件を聞いた医療者の本音かと思います。

  • そもそも手術後の患者を性的対象で見られるはずない
  • 他に患者のいる4人部屋でカーテン隔てただけの空間でそんなことできっこない

というのも間違いないと思っていますが、ただこのように主張しても、

「まーでもお医者さんも忙しいし色々溜まってたんじゃないの?」
「そんなこと考えられないくらい追い詰められてたんじゃないの?」

なんていう議論にされると反論が出来なくなるのでこの点はあまり深く言及しないことにします。

この事件を聞いて医療者が「あり得ないでしょ」と思う一番の理由は「明らかに術後せん妄じゃん」と思うからです。

「術後せん妄」とは?

さて術後せん妄って何よ?って思いませんか?

ちなみに「じゅつごせんもう」と読みます。

なんで「せん」だけ平仮名なの?というのは私も大学生の頃に初めてこの言葉を知った時からの違和感でしたが、この際気にしないことにします。

術後せん妄とは?

せん妄とは、意識混濁に加えて、幻覚・錯覚が活発にみられ、不安を伴い、精神運動興奮が著しい状態を指す。認知症や脳梗塞、代謝性疾患や全身性の身体疾患(アルコール中毒など)でみられる。手術後に見られることも多く、これは特に「術後せん妄」と呼ばれる。

レビューブック・マイナーより一部抜粋

これだけだとあまりピンとこないかもしれませんが、簡単に言うと色んな病気や体の状態が原因で、幻覚や錯覚を見てしまうことです。

せん妄がなぜ起こるかなどははっきり分かっていませんが、一つ言えるのは本人にとってはこの幻覚はとてもリアルなもので、現実との区別はつきません。

せん妄状態になった人を端から見ていると突然何の脈絡もなく意味不明な言動を取っているのですが、当の本人は後からは何も覚えていなかったり記憶障害があったりするのが特徴です。

せん妄の原因は何があるのか?と聞かれたら、ぶっちゃけ何でもありです。

どんな病気でもせん妄の原因になりうるし、入院など環境変化で発症することもあります。高齢者で多かったり、原因になりやすい疾患というのはありますが、手術後の術後せん妄は若い人でも起こりえます。

医療者は普段からせん妄を見慣れていて、特に術後せん妄は日常茶飯事です。

手術をしたその日の夜に突然ベッドから起き上がり「これから仕事にいかなくちゃ」と言って歩き出すおじいさん

「ここにいたら変なやつらに捕まってしまう」と言ってベッドから逃げようと暴れ出すおばあさん

いくらでもバリエーションのある術後せん妄ですから、この事件を医療者が聞いても「術後に主治医に乳首を舐められた?あぁ、せん妄だね」となっている人がほとんどだと思います。

「被害者の気持ちを考えれば」云々の前に、ずさんな証拠で訴えられる医者の気持ちを考えてほしい

この事件に対して、「でも医者が本当にやってるかもしれないだろ。被害者の気持ちを考えたら有罪にするべきだ」っていう人はこの記事をよーく読んでほしい。

・検察は、物的証拠として左胸の乳首からアミラーゼ反応、DNA量が1.612ng/μLが検出されていると主張しているが、科学捜査研究所による鑑定はずさんであった。
(1) 微物採取/鑑定の過程で、間違いの無い方法での記録がなかった。
(2)アミラーゼ検査の過程を記録せず「陽性」とだけ記録。青く変色した写真すらない。
(3)定量検査データを保存しなかった。男性外科医のDNA検出は問題ではなく、量が重要。記録がなくプロセスが検証できない。
(4)抽出液を廃棄した。物的証拠の信頼性を検討する材料が与えられていない。

記事より一部抜粋

検察は「乳首を舐められた」と主張する女性の乳首からアミラーゼ反応や外科医のDNAが検出されていると主張しているが、

  • 採取の場面は誰も見ていない
  • 検査結果の現物は一切ない
  • 抽出液ももう捨てた

ということで、「証拠が出てます」と言っておきながらそのデータは消えてるし、検体試料の残り物ももう捨てたし、検査の場面は検察以外誰も見てないけどね」と言ってるわけです。

これ証拠になるの?

「被害者の立場に立って考えてよ!」と言われても、状況的に術後せん妄の可能性がめちゃくちゃ高いのに被害者の訴え採用して不充分な証拠で訴えられて医者人生潰されかかってる医者の方がどう考えてもかわいそうなんです。

万が一にもこれが術後せん妄でなくて本当にこの医師がクロなんだとしたら、せめてしっかりとした科学的な証拠を提出すべきでは?と思うのです。

医療訴訟で刑事訴訟と民事訴訟は大きく違う

少し話が逸れますが、医療訴訟と一言で言っても刑事訴訟と民事訴訟は大きく違います。

民事訴訟は患者が「納得出来ない!訴えてやる!」となれば訴えられる可能性があります。

産婦人科や小児科が訴訟リスクの高い科と言われていますが、これは患者が納得出来ないケースが多いのも原因の一つです。

例えばおじいちゃんが脳梗塞になって半身麻痺が残ったとしても「命だけは助けてくれてありがとう」ってなる家族が多いかもしれないけど、生まれてきた子どもが麻痺になったとなれば「なんで子どもが麻痺になるの!?医者に過失があったに違いない!」となりやすいわけです。

ただし民事訴訟は言葉は悪いですが「カネで解決出来る問題」になります。

医者はどんなに真面目にお仕事を頑張っていても一定確率でこうした訴訟にあたってしまう可能性はあるので、ほとんどの医者はこうした事態に備えて「医師の賠償責任保険」というばか高い保険に加入しています。

ところが刑事訴訟はつまりは「犯罪者になるかどうか」の問題であり、今回の乳腺外科医の先生もわいせつ罪で犯罪者になってしまうかどうかの瀬戸際に立たされているわけです。

福島県立大野病院事件が産婦人科医にとって衝撃だったわけ

もう15年も前の事件になりますが、帝王切開を受けた妊婦が死亡した件で手術を執刀した産婦人科医が逮捕された「福島県立大野病院事件」という事件がありました。

この事件が衝撃だったのは、兼ねてから民事訴訟のリスクが高いとされていた産婦人科ですが、患者が死亡に至った場合には「刑事事件」として逮捕されてしまう可能性があるのかということでした。

勿論医師に明かな過失があるならともかく、少なくとも現場では止血困難な状況で出来うる限りの最善手を尽くしたにも関わらず、です。

「被害者の立場を考えれば当然だろ」「命がなくなってるんだよ?」という患者側の気持ちも勿論分かるのですが、医者は神様じゃないのでどうしたって救えない命もあります。

大野病院事件で最悪の事態を防ぐ策がなかったかと言われれば後出しじゃんけんでいくらでも言えると思うのですが、事前にそこまで想定出来たか?あの状況で自分だったら患者を救えたか?と言われたら、私は産科医じゃないけど自信を持ってyesとは答えられないと思います。

この事件で産婦人科医不足に拍車がかかったと言われていますが、結局無罪判決となり多くの医療者はほっとしたことと思います。

おわり

私自身は医者なのでだいぶ医療者目線でこの事件を見ているのは事実ですが、こんな状況で、いくらでもねつ造出来そうな証拠だけで有罪にされてしまうのは溜まったものじゃないと思うのですよ。

命に関わっていない分大野病院事件とは重みが違うと言われればそうなのですが、医療者にとっては気になる事件なのは間違いないはずです。

こんな事件で裁判に持って行く警察、検察、そしてそれを煽るマスコミが信じられないなと思うわけです。

ということで、報道のされ方も少し気になったので記事にしてみました。

お目汚し失礼しました。