医学

無痛分娩での死亡事故 – 無痛分娩や硬膜外麻酔は危険なのか?

お仕事中に麻酔の説明で硬膜外麻酔についてお話したときに、患者さんからこんなことを言われたことがあります。

「無痛分娩の硬膜外麻酔で死んじゃったニュースありましたよね?不安なんですけど…大丈夫ですか?」

なんと。

きっとこのニュースです。

無痛分娩で産婦死亡、過失致死疑いで医師書類送検

少し前になりますが無痛分娩での死亡事故が話題になりました。そしてこの報道の後、目に見えて無痛分娩の希望者が減ったという医療機関も少なくないとか…。

そりゃそうですよね。痛みを取るためとはいえ、命に関わる危険を冒してまで無痛分娩をしなくてもいいかとなります。痛みを我慢すれば硬膜外麻酔なんてなくてもお産は出来るわけです。

でも、痛いのは嫌だしもしできるなら無痛分娩してみたいな…そう思ってこのページを開いてくれる方もいると思います!

そこで一応1人の医者として「無痛分娩はほんとに安全なのか?」ということを伝えるために記事を書いてみました。

そもそも硬膜外麻酔を使った無痛分娩とはどんなものなのか、今回のニュースではなぜ死亡事故に繋がってしまったのか、医学知識の全くない非医療者の方が読んで分かるように書いたつもりです。

無痛分娩って?

お産は痛いのが当たり前、との認識でしたが、最近はその認識も変わりつつあります。出産時の痛みを無くすために色々な方法が研究されているのです!

点滴からの痛み止めを使う方法も沢山検討されていますが、一番メジャーなのは「硬膜外麻酔」を使った無痛分娩です。

無痛ではなく和痛や減痛という方が近い

最近は「無痛」という言葉ではなく「和痛分娩」という言葉を使おうという声もあります。と、いうのもどんなに頑張っても「無痛」にするのはほぼ不可能だからです。

出産の痛みは信じられないくらいの痛みなので、それが半分以下くらいにはなるのですが完全な「無痛」にはなりません。なので「和痛分娩」と呼びましょうという声もあるのです。

そしてもう少し言うと、この「和痛」という言葉も議論があります。

「和」は日本語では「痛みを和らげる」という意味合いが伝わります。

ただ、「和」は中国では「加える」という意味になるので、「痛みを加える」ということで全く逆の意味になってしまいます。

なので「減痛分娩」というのが一番適切な言葉ではないか、とも言われています。

まぁ呼び方は何でも良いですが、何が言いたいかと言えばどんなに頑張っても完全な”無”痛ではないということですね。

硬膜外麻酔とは

硬膜外麻酔の仕組み

皆さんの背骨の中には脊髄と呼ばれる太い神経が走っています。脊髄の周りは硬膜という膜が覆っています。それを取り囲むように背骨が積み重なっていているわけです。

この硬膜の外側で、皮下組織の間に硬膜外腔と呼ばれる空間があるのです。


画像:http://baby.cocokarada.jp/column/02_10.html

この硬膜外腔にカテーテル(細い管)を通してそこから局所麻酔を投与します。

私達が痛みを感じるのは、その部分にある痛覚神経が刺激をされると、その「痛い」というサインが皮膚→脊髄→脳へと伝わっていきます。この痛みを感じる神経が伝わっていくのを脊髄の部分で麻痺させてあげることで、お腹の痛みを和らげることが出来ます。

硬膜外麻酔は脊髄の膜を一枚挟んだ外側に薬を入れています。これが脊髄に近い、つまり硬膜の内側に薬を入れてしまうとあっという間に薬が広がりすぎてしまったり、神経に直接お薬が作用して色々な副作用が出ます。

この硬膜外腔という絶妙な場所に薬を入れることによって、持続的に傷みを和らげる効果を持たせることが出来るのです。

主には開腹手術などの術後の痛み止め方法として昔から利用されている方法です。

硬膜外麻酔鎮痛法の効果

私みたいなひよっこドクターでも今まで沢山の患者さんに硬膜外麻酔をしてきましたが、幸か不幸か私自身は一度も硬膜外麻酔をされる側になったことはありません。

ただ、無痛分娩に限った話ではないのですが、ほとんどの麻酔科医は口を揃えてこう言います。

「硬膜外麻酔に勝る術後鎮痛法はない」と。

手術の後はどうしても傷の痛みが出てしまい、特にお腹を開ける開腹手術の手術後は痛いです(>_<)

硬膜外麻酔は確かに手技が難しく、これによる合併症も比較的多いので、最近は痛みを取る代わりの方法が色々と提案されています。

でも、いろいろな術後の鎮痛法が検討されていても、結局のところ現時点で鎮痛効果という意味では硬膜外麻酔は最強という結論が多いです。

特に開腹手術は他の部位に比べても痛みが強いので、やっぱり硬膜外麻酔があることで随分傷みが楽になると思います。

硬膜外麻酔の副作用や合併症

硬膜外麻酔自体は結構難しい手技です。基本的には麻酔科医なら誰でも出来る手技なのですが、慣れた麻酔科医が行ったとしても合併症や副作用はゼロではありません。

合併症は硬膜外血腫、感染、などなど色々あるのですが、今回の事件に関連するであろう、「硬膜穿刺」についてここでは簡単に説明します。

硬膜穿刺とは?

これが一番多い合併症です。

名前の通り、硬膜の外へ薬を入れるのが硬膜外麻酔なのですが、何かの拍子に硬膜を貫いてしまうことがあるんです。どうしても目に見えない場所なのでそいうことがあるんです…。

すると硬膜の内側には脊髄を保護するための髄液という液体で満たされているのですが、これが硬膜を貫いてしまった際の穴から漏れ出てしまうことで頭痛の原因になってしまいます。

この頭痛は命に関わるものではありませんし、数日〜1週間程度で良くなるのですが、ほんっとーーーに痛いです。起き上がれなくなるくらいの辛いものになります。

さらにですね、この硬膜穿刺に気付かず硬膜に入れるはずの薬を硬膜に入れてしまうとどうなるか…?

硬膜という膜を一枚挟んだ外側に薬を入れるからマイルドに、ゆっくり長ーく効いてくれるのが硬膜外麻酔です。

これを硬膜内に入れてしまうと、急激に薬が神経まで回ってしまい中毒症状が起こってしまいます。意識がなくなったり、呼吸が出来なくなって、血圧も維持出来なくなります。

体を動かす神経全体が上手く機能しなくなってしまうイメージをもっていただければと思います。

硬膜外麻酔が命に関わることはある?

今回のようなニュースをみて、「硬膜外麻酔は命に関わることがあるのか?」などと思われている方もいるかもしれません。

医者としてリスクマネジメントの点から言えば「100%ありません」とはなかなか言えないのですが、それでも硬膜外麻酔だけで健康な人が命に関わることはまずないと思います。

硬膜穿刺自体は100件に1件くらいは発生する可能性はあるのですが、仮に謝って硬膜内に薬を注入してしまったとしても、少量であれば重篤な症状はまず出ないので、この段階で気付けば命に関わることはありません。

また、万が一上述のような中毒症状が出たとしても、適切に対応をすれば救命出来る可能性も高いと思います。

全ての麻酔に言えることなのですが、体の中に入った薬は個人差はあれど必ずいつかは外に出て行きます

患者さんから「麻酔から覚めないことってあるんですか?」と聞かれることがありますけど、これは100%ありません。

麻酔中に命に関わる事故はありえなくはないですが、厳密にいえば”麻酔自体から覚めない”ことは絶対にないです。

なので、中毒症状を起こしている薬も、待てば必ず体の外に出て行きます。

ただ、その間自力で呼吸が出来ないなら人工呼吸器につないだり、血圧が保てないなら血圧を上げる薬を使う、そうやって人が生きていくのに必要な条件を整えてあげて、症状がおさまるのを待つのが治療になります。

今回の事故は何が起こってた?

無痛分娩「失敗」で死亡事故 「危ない出産法」の誤解危惧する声

この記事を読むとおよそ何が起こったのか分かるのですが、結論から言えば硬膜穿刺に気付かず薬を注入してしまったパターンと思われます。

硬膜穿刺自体は起こりうる合併症の一つなので、これは仕方ないことなんです。ただ、この事故の問題点はドクターがその後の対応が全く出来なかったこと。

おそらく主因は局所麻酔が効き過ぎたことで呼吸が出来なくなったのが原因だと思うので、とにもかくにも呼吸の補助を最優先でしてあげるべきだったのですが、医者もパニックになってしまい出来なかった様子でした。

だから今回の事故は医者に過失があると判断されたのですね。

あまり人を批判するのは好きじゃないのですが、医者ってリスクマネジメントが大事なのです。

医療行為において副作用や合併症をゼロにするのは不可能なので、大事なのは問題が起こらないための事前準備と起こった場合の対応を考えておくことだと思っています。

医者が何か処置をする以上、少なくとも教科書で分かるレベルの起こりうる合併症や副作用は知っておくべきだし、それに対する対処法も知ってる&出来て当然で、医者のする治療や手技ってそのくらいの責任があるのです。

勿論そうしていても対処できない事態は起こり得るし、うまくいかないことはありますよ?

医者は神様じゃないからね?

だから医者ならなんでもできて当たり前と思ってほしくないけど、こんな事件はもう二度と起こらないでほしいなぁと思うのです。

これから無痛分娩を考えるプレママさんに伝えたいこと

色々と書いてきましたが、無痛分娩を検討していたけど、今回の事件を見て怖いしやめようかなぁと思ってしまっているなら、ちょっと勿体ないと思います。

やっぱり無痛分娩自体は患者満足度は高いので、アメリカでは日本よりずっと普及しているみたいですし、日本でも普及してほしいなと個人的には思っています。

どんな医療も100%安全はあり得ないですし、そもそもお産自体は危険を伴うものです。

「普通に産めて当たり前」の世の中ですけど、お産は常に命がけで、出産時に亡くなる妊婦さんは残念ながら一定確率でいます。ただ、その中で硬膜外麻酔や無痛分娩自体が特別リスクの高いものではないことは伝わってほしいなと思います。

とは言っても、まだ日本では無痛分娩をできる医者も少ないので、本人の希望で無痛分娩をさせてくれる病院がとても少ないので…やりたいと思っても出来る施設を探すのが大変かもしれません…。

おまけ – 自分だったら無痛分娩を選択するか?

最後に、麻酔科医の私自身は無痛分娩を選択したいかという皆さんの素朴な疑問に本音で答えておきます。

正直、私は痛いの嫌だし少しでも痛みが和らぐなら無痛分娩したいです!

ただ硬膜外麻酔の合併症も色々見てきているので、正直ちょっと怖い気持ちもあります。でもその効果もよく見ているので自分が経験してみたい気持ちもあり、信頼出来る先生に硬膜外麻酔を入れてもらえるなら無痛分娩したいです。(てへ)

ただ、一人目から無痛分娩するかと言われると少し悩みます。

何故かと言うと無痛分娩のデメリットとしてどうしても陣痛は弱くなりがちなんです。そうすると吸引分娩や鉗子分娩と言って、つまり最後に赤ちゃんを無理矢理引っ張り出す分娩の率が上がってしまいます。

特に初産婦は産道ができあがっていないので、結構大変な印象です。(すみません私は専門ではないのでどのくらいの割合かははっきり数字は持ち合わせていません)

鉗子分娩や吸引分娩で赤ちゃんに何か問題が起こることはまずないのですが、出産直後に引っ張った部分の頭に血腫が出来ちゃったりとね、見た目が可哀想だなぁと思っちゃうこともあるので、ちょっと迷ってます。

2人目以降は産道が形成されていて一人目に比べたらスムーズなので、無痛分娩してみたいです。ぜひぜひ。

では今日はこの辺で!